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やがて風景になる

 暮らしをデザインすること。暮らしを自らデザインしてよいのだということを高らかに宣言したのがパーマカルチャーの核心的なところだとつねづね思うのです。がデザインの危ういところも見る必要がありそうです。

 

 最近、「民芸」について調べていて思うのですが、過剰なデザインというのも警戒する必要がある。まあ消費するためのデザインとか。そういうのはファッションと言うのでしょうか?(ちょっと過激発言?気分を害した方がいらしたらゴメンナサイね)そのような過剰な意匠を排した「用の美」を唱えたのが民芸運動の中心メンバーである柳宗悦です。明治末期、白樺派の創立時のメンバーとしても有名ですね。当初は欧米の先進的な文芸やアートを紹介していたのですが、ある時、朝鮮の古い陶器を見てその用の美に開眼し、また日本各地の伝統工芸にも庶民の暮らしから生まれた用の美を発見し再評価しました。

 なんで今頃「民芸」なのかと言うと、今取り組んでいる「椅子づくり」のコンセプトがかなりの部分重なるからです。

(写真は№4から最新作の№7)

そもそも森を手入れしたときに出る残材を使って何かできないかという単純な発想から出発したのですが、森や里山の荒廃を一気に解決するような素材やネタは見当たらず、まあ趣味の延長でやっているレベル。ただ試行錯誤を重ねるなかで色々考えるわけですな。強度とか構造的な問題もそうですし、勿論デザインや機能性も大切です。ただしデザイナーズ家具のような洗練された椅子を作るのはそもそも無理があるし、目指す方向も違う。もっと手軽な道具でチャッチャッと作りたい。ローテクこそ本分。実用的な日用品で十分なのです。まあ使うほどに愛着なり風格がでるのが理想ですが。

 そんなとき素敵な言葉にめぐりあいました。「やがて風景になるものづくり」これですよコレ!!!岡山の西粟倉村でヒノキの創作家具を作っている大島正幸さんのモットーだそうです。う~ん深い。日本人の美意識に突き刺さる言葉ですな。自然や風土とつながる素材を活かし造形するのは勿論ですが、大島さんのようにヒノキの美林を次の世代にも引き継ぎたいという思いから生まれた家具づくりは正に山村の風景を作り伝承する営みそのものです。

 たぶんパーマカルチャーをよりよく実践し暮らしをデザインするものは「やがて風景になるものづくり」という姿勢も必要なのだと思います。私がスペインの椅子(通称ゴッホの椅子)から感受したのもそのような姿勢だったのです。まだまだ拙い私の椅子づくりですが暮らしや風景を大切にするものづくりが(スロークラフトとでも言うのかしら)原点であり目標であることを心に刻んで取り組みたいと思います。