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温室についての断章

 年をとるとまどろむことが多くなるのです。それは数年前の冬の朝のこと。数年に一度という寒波の朝、昨夜は寒くてあまり眠れなかったこともあり陽ざしに満たされた玄関の椅子に腰かけてポカポカまどろんでいました。年末に死んだ愛犬のことや命のはかなさについてぼんやり思いをめぐせていると、ラジオからバッハの讃美歌が聞こえてきました。そのとき「これもひとつの至福の時」かもしれないという思いが沸き上がってハッと正気に戻ったのでした。

 

 そのような感覚はまれに訪れる。最初は4、5歳でしょうか保育園で鬼ごっこをしていたとき園舎の裏に隠れてしゃがみ込んだら陽だまりの中に水仙が一株咲いていました。なんということもないシチュエーションだし、ほんのひと時のことだと思うのですが、陽だまりに揺れる白い蕾から立ち昇る芳香ととも強く記憶に残っているのです。そのようなシチュエーションというのは私の場合、光につつまれた明るい景色「光景」の場面が多い。臨死体験なんかも光に包まれるようですら何か関係があるのでしょうか。

 

 この私の光景感に大きな影響を与えた本があります。フランスの哲学者ロラン・バルトの「明るい部屋」という本です。そこに亡くなった母の幼い頃の写真についての断章があります。それは温室で撮影されたもので、幼い少女にまぎれもない母の面影をみとめてバルトは写真というものの本質を直観する。温室すなわち「明るい部屋」という本書のタイトルはそれに由来するようです。写真とはある時は実証的だったり科学的な記録装置ですが、ある場合は死や喪失を思い知らせ人を狂気に至らしめる可能性も秘めている・・・

 

 さて話もまどろんでいるようで申し訳ない、ここからが本題です。それは「温室」を作る計画です。菜園に温室は必須というわけではないけれど、在るとなにかと便利な点がある。まず苗を育てている期間も菜園で前作を作りつづけられる点。狭い菜園ではこれが助かる。それから苗に仕立ててから畑に移植すると虫の食害を多少は防ぐことが出来る。葉物など軟弱野菜は苗に仕立ててから菜園に定植した方が虫の被害が少なくてすむのです。そしてこれが一番の理由ですが温室で食用のバラを育てたい。森に隣接している我家の菜園はもう虫たちの楽園のようなところなので軟弱な作物は一晩で葉っぱを食べつくされる。とくにバラの太い幹がテッポウムシにやられると一株ダメになることもある。バラなど何年も丹精込めて作るものですからこれはイタイ。それで温室なわけです。まあ菜園横に倉庫も完成しましたから、そこを増設して温室にする予定です。

 

 

 最後になりましたがラジオから流れていた讃美歌はバッハのカンタータ147。「主よ人の希望と歓びよ」です。我が家の温室にその曲が流れる日も近い?