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パーマカルチャー異聞その一

 英語で自給自足はSelf Sufficiencyというそうですが、私的には「パーマカルチャー」と言う方がしっくりします。

 一応その概略を述べますと、パーマカルチャー(Perma Culture)とはパーマネント・アグリカルチャーあるいはパーマネント・カルチャーを略した造語で持続可能な農的暮らしや文化を提唱する実践的な考え方です。これは70年代にタスマニア大学で生物地理学の教鞭をとっていたビル・モリソン(1928-2016)が当時学生のデビット・ホルムグレン(1955-)と共同で考案したもので、それまでヒッピー・ムーブメントなどで提起された自然回帰や自給自足といったオルタナティブな生き方についての諸テーマをより体系的総合的に扱ったものです。その構成範囲は農作業から農園のデザイン、家作り、エネルギーの自給、エコ・コミュニティー、そして地域通貨までに及び、発表されるや世界中で支持されました。思想的出自は自然保護や環境運動を母体としており、その反省から(当時環境運動が先鋭化した結果いろいろ行詰ってたわけですね)プロアクティブな解決策を提案し実践していくことが大きな特徴です。また環境運動などの関連でしょうか科学的根拠も配慮されていることは大きな強みであり、内容的にも色あせることがありません。そして暮らしの諸要素を適正に配置し関連づけ“デザインする”という発想も画期的な視点ではないでしょうか。正直な感想として70年から80年というインターネットも普及していない時代に、エコの先進的な動向をこれだけ把握しえたということだけでも賞賛にあたいするでしょう。少し彼らが提唱する教義を紹介すると、農的暮らしにおいては「生態系に学び、伝統文化に学ぶ」ことが基本にあると説いています。これは私が最も賛同する視点であり、私がパーマカルチャーの最も優れた特質だと考える創造性を根本で支えているもとだと思います。

 

 さてさて、前置きが長くなりましたがこれから何回かにわたって私の豪州パーマカルチャー旅行記を旧ブログから再録します。2008年のことなので情報としては古いのですが、旅の感動とあいまってパーマカルチャーを目の当たりにした驚きが素直に出ていると思います。尚、この旅で大変お世話になったユカリさんは2009年に故人となりました。樹々山の名前の由来はユカリさんの息子さんのジュジュ君の名前を拝借したもので、実は樹々山の09年夏の山開きにあたってはユカリさん親子も立ち会っていただきました。拙い旅行記ではありますが謹んでユカリさんに捧げます。ユカリさん素敵な旅と出会いをありがとう。

 

08年豪州旅行ノート

 

 はじめに

 記憶の鮮度というのは意外に劣化しやすいそうです。そこで報告書というのはなるべく早く記憶が鮮明なうちに書き上げる必要があるとかで、まだまだ整理のつかない今回の豪州パーマカルチャー(以下P・C)・ビレッジ旅行ではありますが、その経緯と若干の感想を記しておきたいと思います。ただし情報としての正確さを期するとまた時間がかかりそうなので今回は主観的異聞ということでご了承下さい。

 

 羽天軽地亜村異聞一

 巨大なユウカリの樹が茂る森の方へ歩いていくと清涼な芳香がただよっています。アロマテラピーで使われるティーツリーという精油はユウカリの一種から抽出されるそうですから、それもそのはずなのです。しかし、この芳香成分が森に充満し自然発火すると森を焼き尽くすブッシュ・ファイアー(なんか米国の新兵器みたいですが山火事のことです)となるのです。でもその山火事に適応進化した植物もいたりして何百年かに一度の火事をじっと待って発芽するものもあるのだとか。ユウカリの香りのおかげで、一夜漬けで調べたオーストラリアの特殊な生態系を思い出しました。そしてつくづく実感するのでした「ああここがオーストラリアなんだ」と。

 

 08年4月某日。私は念願だったP・C見聞旅行に出発しました。私とP・Cの出会いとなった「パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン」という本には00年11月の書き付けがありますので、かれこれ7年来の夢がかなったわけです。当時はまだP・C関連の書籍も乏しくマスコミにも取り上げられる前でした。そこでパソコン通信で検索すると建築関係のフォーラムで話題となっているようでした。ただし都市計画の新しいトレンドとして取り上げられているようで、農的暮らしの情報はあまりありませんでした。そんな次第で前記の本を隅々まで読み巻頭の写真なんか虫眼鏡で見たものです。まだ老眼になる前ですよ。当時は後先も考えず鴨川に移住したばかりで、この本は未来への大きな支えとなりました。そして今回、その写真の場所に遭遇し単純に感動してたりして・・・。

 

 

次回からこの旅行の顛末を書きますので興味のある方はお付き合い下さい。