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ムラ社会考

 ムラ社会と言うと旧態依然とした息の詰まるような人間関係など悪いイメージがつきまとうのですが、最近「くらしのアナキズム」(松村圭一朗著)という本を読んで少し考えが変わってきました。そもそも田舎移住者の私ですから、何らかの素地はあったとは思いますが、その本を読んでもっと積極的な意味があるのでないかと思うようになったのです。

 

 「くらしのアナキズム」を私なりに要約すると、人は国家のような巨大システムや権力なしでも生活できるということです。つまり人類学者である著者が研究してきたような未開社会ではそれが普通に行われ略奪や紛争のような破たんもなく継続していた。日本でもついこの前まで農村部にはムラ社会の処世術というか生活の知恵がのこっていた。その部分には宮本常一の「忘れられた日本人」の寄り合いの話が引用されているのですが、私も移住先の自治会で同じような体験をしていたのでより強く納得しました。(どんな内容かというと、とにかく話し合いが長い。多数決はとらない。たびたび話が脱線して寝転んだり中座する人がいたり、しまいにお酒が出たりしてうやむやのうちに終わる。と思ったら次の寄り合いでまた話がはじまり誰が根回ししたのか長老の一声で決着する云々)まあ全面的に肯定できないまでも、ダメなところや不真面目さを許容するムラ社会の処世術というのは平時だけでなく震災のような非常時にも柔軟に対応してきたのです。というより大きな後ろ盾もなく大自然と対峙するなかで培った人間集団の正常な処世術かもしれません。

 

 とくに面白かったのは文字は国家とともに発明されたという部分です。民衆から税金を搾り取るための簿記として発明されたというのです。そして国家は民衆を守り安寧を与えるよりも搾取しむしり取る暴力装置として発生したとも。国民は消耗品として扱われるわけでたまったものではない。そこで人々は国家から逃れるのが当り前。捕らわれたとしても国家に抗う領域は失わなかった。民謡や踊りのような民衆の芸能が口承で伝えられるのと何か関係があるのかもしれませんね。

 

 ムラ社会に話をもどします。驚くべきことは私たちはそのようなムラ社会の知恵や文化から隔絶しているという事実です。柳田国男が「遠野物語」を出したのが1910年(明治43年)ですから、すでに民話が研究対象になるほど人々から隔絶したものになっていたと考えられます。私は常々祭や民話を生み出した村人たちの創造力に敬服するのですが、それが当り前であった村人たちの暮らしや意識を想像すると、案外近世のムラ社会というのは人間集団の安定した到達点だったのではないかと考えるのです。近年話題となる持続可能な社会は主に資源など物資について議論されていますが、ムラ社会の功罪を再評価することは恒常的な人間集団の在り方を考える上で重要になるのでないでしょうか。

 

 「くらしのアナキズム」では、そんな村人もやはりムラ社会は息が詰まったようで「市」における非日常がその息抜きになっていたと述べています。市ではモノを売買するだけでなく遊芸の民との交歓もあったのです。ムラ社会は硬直化するのを回避する仕組みも持っていた。ムラ社会恐るべし。

 

 明治時代に近代化が推し進められるのですが、それは強権的な部分もあったでしょうが、圧倒的な文明の利器とともに仕事や暮らしを変えていくわけですから説得力も半端なかったのでしょう。ムラ社会はその足を引っ張る悪として徹底的に人々の意識からも排除された。まあ原発ムラのように潜在化したとも言えますが。

 

 最後に、「くらしのアナキズム」は先の大震災で露呈した巨大システムの(勿論それは近代化の果てに出現したのです)脆弱さや欺瞞にいかに対抗していくかを悶々と思い悩んでいた私に一条の光を与えてくれた良書です。パンデミックのただ中ではありますが希望が見えてきたように思います。