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田園のビートルズ

 小さな天水の田んぼを借りてお米作りを始めたころ作業しながらよくビートルズを聞いていました。人力手作業がメインなので単純作業が慣れなくて音楽でも聴いてないと退屈でしかたなかったのです。アフリカンドラムを習い始めたのもこの時期で、その中に農作業のリズムというのがあってノリノリのリズムなのでした。実際、アフリカでは農作業のあいだじゅう横で演奏していたらしい。しみじみヒマというか、演奏してないで作業手伝ったらどうかと突っ込みたくなるのですが、日本にも田楽というのがあって田植などの時に演奏していたそうです。だからビートルズ、とくに初期のロックンロール調のノリノリの曲は農作業にもピッタリ。そして後期のリボルバーでも結構いけることに気が付きました。

 

 私はバックパッカーではなかったけれどアフリカに滞在した経験が後の田舎移住に影響していように思います。その時、朝もやの村の広場には集会所のような東屋があり灯りと暖をとるためのブットイ薪が燻っていました。私はひとり広場に立ち尽くし、地の果てとも言えるその村の佇まいが無性に懐かいのは何故なのか不思議でなりませんでした。それが強烈な印象だったので、帰国後アフリカの音楽やワールドミュージックを志向するようになったのも自然な流れでした。考えてみれば私の初ワールドミュージック体験こそビートルズだったのかもしれません。インド風の曲「ノルウェーの森」とか「Love You To」とか。

 でも最近、ビートルズそのものがワールドミュージックと共通する音楽ではないかと考えるようなりました。坂本龍一がジャズの発生に関する考察でアフリカから新大陸に連れてこられ故郷から切り離されたことがジャズに普遍性をもたらしたのではないかと述べていました。ロックやポップスのルーツにはジャズやブルースなどアフリカ起源の音楽があります。勿論、ビートルズもその系譜につらなるというか、その本流ですね。結果ポップスという巨大なビジネスモデルをも作り上げた。でビートルズの優れたところはロックンロールという異文化体験を経てイギリスの伝統音楽を再発見し、さらにはインド音楽やスカなど世界にも目を向けたところにあるのではないでしょうか。その根底には彼らも故郷を喪失するような原体験があったのではと想像するのです。ジョン・レノンが生まれたころリバプールにどれほど戦火が及んだのか分かりませんが、やはり世界大戦は時代を画するものだったと思います。それを疎外と感じるか解放と感じるかは見方にもよると思いますが、ロックンロールに感応しえた彼らの感性というのは伝統音楽との断絶とその間隙が関係していたと思います。

 私も高度成長期に郊外の新興住宅地で育ちました。核家族用の瀟洒な住宅が田んぼや溜池を埋め立てて建てられていった。そこは伝統やシガラミとは無縁の場所でした。しかし、小学校の通学途中で荷馬車を見かけたり牛が田んぼを代かきしているのを見たこともあります。郊外とは新旧が交錯するバニシングポイントで、さらに時代は加速していく。また学生運動が盛んな頃で、ドロップアウトやコミューンという言葉も飛び交う時代でした。ビートルズはそんな時代のBGMだったのです。

 

 つまり、私が今、田舎に移住して(ドロップアウトして)田んぼでビートルズを聞いているのはごく自然な成り行きなのではある。ではあるが、ひとつひっかかるのは故郷やそこに残った人々はどう思っているのだろうか、ということです。私の場合は移住先の集落とそのローカルピーポーはどうなのかということです。

 現在アフリカンポップスはラテン音楽が逆輸入されて独特の発展をしているそうです。一方、ワールドミュージックのようなキワモノ(失礼、でも正当な継承者にはそう見えるかも)は伝統音楽に似ているだけにアフリカの人々には違和感や警戒感を持たれるのではないでしょうか。

 私は今でもアフリカンドラムの演奏をしたり移住先で獅子舞のお囃子に参加したりしています。まあワールドミュージック好きが高じてやっているのですが、そのつながりで日本の和太鼓グループや民謡を再解釈した音楽を耳にする機会も多いのです。で、総じて感じるのは「イイ線いってるんだけど何だかイタイ」ということです。これはパンデミック以降の移住ブームにも言えていて、そういう移住者はファッション化しているだけに田舎では浮いてしまう。「イイ人たちなんだけど何だかイタイ」。私も第何期かの田舎暮らしブームに乗っかって移住した部分もあるので自戒をこめて指摘したい。エコだ無農薬だとついつい口にしてしまう意識の背景に、田舎と移住者の深い断絶があることも理解すべきだと思うのです。私は田舎に移住して20年以上になりますが、その断絶は年々深いと感じるようになりました。ファションという文化現象そのものが孕む問題なのかもしれませんが、長く暮らしていく上では大きな障害になりかねない。まあ、断絶があるからこそ田舎の魅力を再発見することもあるわけで「村おこし」には欠かせない視点ではありますね。ただし「むら社会」の地層は深いだけに、その断層を読み取るのは一筋縄ではいかないのです。でも、そのぶんいろいろな可能性が眠っている。ビートルズがポップスという鉱脈を掘り当てたように、私は田舎暮らしや農的暮らしに地球大の巨大な鉱脈が眠っていると確信しています。そうそうビートルズにも「ラバーソウル」ってアルバムがあるように彼らも自覚していたんですね、ソウルとの間に深い断絶があるってことを。久しぶりにビートルズを聴きながらそんなことを考えました。