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自給菜園レボリューション

  農業は私たちの生活を支える大切な営みです。またカルチャーの語源がラテン語のcolere「耕す」に起因しているように、農耕文明こそ食糧だけでなく精神的にも現在の人類の繁栄を支えるていると言っていいでしょう。ただし産業革命以来の工業化によって農耕文明は背景に後退して日常意識されることはありません。器械化やバイオの応用など農業の工業化も著しいので、工業の一部門ぐらいに考えている人もいるかもしれません。

 さて話はすこし変わりますが戦前戦後に活躍した小説家の坂口安吾は「戦争論」の中で、「技術」というものは、その限界が明らかにされてやっと文化になるのだと言っています。第二次大戦の惨禍のなかから紡がれた言葉だけに大変説得力があります。現代の生活を支えている工業も様々な技術の集合体ということが出来るでしょう。ただしその進化と拡大は現在も進行中で安吾先生が言うような限界を見据えることは難しいのが現状です。例えばひとつの技術が行き詰まるとイノベーションが起こって刷新され新しい技術に置き換えられるというように。工業化の問題点はたえず繰り延べされ、そのたびに巨大化します。それが正常に機能しているうちはいいのですが大災害など「想定外」の事態にはそのシステム自体が危機となるのです。また、地球環境への影響など巨大化する工業化社会への懸念も膨らんでいます。

 

 工業化社会への懸念は何も今に始まったことではありません。レイチェル・カーソンとか自然回帰のヒッピームーブメントも現在につながる発端かもしれません。しかし、それから半世紀近く過ぎ去ったのに環境や共生といった思考が社会の仕組みを変革するような大きなムーブメントにならないのは何故でしょうか。その原因として、工業化社会を批判し相対化するような大きな思想的基盤や価値観を提示できなかったということがあるのではないでしょうか。まあ結論から言って宗教もイデオロギーも工業化社会を制御することはできなかった。工業化を支える科学技術の進化はそれほど圧倒的であることに宗教家も哲学者も異論はないでしょう。では科学技術に私たちの将来を託すしかないのでしょうか。

 僕は農業の本質に立ち返ることによって、行き過ぎた工業化社会を批判し相対化することが出来るのではないかと考えます。ただし残念ながら現行の農業や農家の暮らしは完全に工業化社会に組み込まれています。僕は農村に移住して20年となりますが、正直な感想として、そこに工業化を批判するような視点を見出すことは困難です。
ではどうするか?
僕は自給農こそ、その突破口になるのではないかと思うのです。

 

 話はかなり核心にせまってきましたが、また横道にそれます。自己言及というのも大切だと思いますので僕がなぜそのような考えに至ったかということにも触れておこうと思います。
 僕は20年ほど前に東京から南房総に移住して「田舎暮らし」を始めました。ただし何か確信があって移住したわけではなく、親の看病のため郷里に帰っていたのですが、それが思ったよりも早く終わり、さてどうしょうかと考えたときに、このまま東京に戻るのも芸がない、という感じで首都圏の秘境ともいえる南千葉に移住したのです。ことわっておきますが遺産が転がり込んでの悠々自適ではありません。当時は40代でしたが、斜陽産業といわれて久しい映像産業の底辺で悪戦苦闘し、さらに親の看病看取りに疲れて「落ち延びた」という心境でした。移住当初はアイデンティティの喪失というか、人と会っても話す言葉が出ないような状況でした。たぶん少し鬱だったかもしれません。しかし映像業界でさんざんなことをしてきたので、どんな苦境でも自分を客観視することはできましたから何とか田舎暮らしを続けてきたのです。
 なわけで真面目に農業をするでもなく、哲学的思索にふけるわけでもなく、ほぼミーハー的田舎暮らしを実践してきました。

 ミーハーな田舎暮らしですからエコだ環境だと騒いだり、無農薬だ有機だというようなことを世間に喧伝することもありませんでした。ただ気の赴くままに森林ボランティアをやったり自然農法で田畑をやったりしてきました。まあ動機が癒しですからね。他者と対立するようなことはあえてしなかったわけです。ところが困ったことが起き始めました。ことのおこりは2011年の東日本大震災と原発事故です。それを現代文明への警鐘ととらえた人も多かったのではないでしょうか。自然志向というか田舎暮らしがにわかに注目を集め、どうも時代の先端に立たされてしまったようなのです。しかし、こちらは行き当たりばったりで来ましたので、困ったことに有効な言葉を持ち合わせていません。ただ災害ボランティアなどにも行ったりしてこの「想定外」の事態と何とか折り合いをつけようとしましたが時間だけが過ぎていくばかり。「なにうだうだやってんの」と見かねた友人の励ましもあり、なんとか立ち直りかけた2019年、台風15号で所有する農園が被災し、さらに新型コロナが追い打ちをかけるように襲ってきました。しかもそれは日本はおろか全世界を巻き込んで。これで吹っ切れたというか、自分も被災者となり、コロナ過とはいえ共有できそうな状況が世界に充満している・・・。今こそ何か言葉を紡ぐことが出来るのではないか。予感というか決意というか、そう思ったのです。

 

 具体的には20年の田舎暮らしだけでなくその前の半生も振り返って、バラバラに散らばった思考のピースをジグソウパズルのように組み合わせて新しく明確な形に再構成できるのではないかと。その土台になるものこそ自給農なのです。
 パーマカルチャーの創始者であるビル・モリソンはその著「パーマカルチャー・農的暮らしのデザイン」の中で「私たちが成しとげなければならない最大の変革は、たとえ小規模であっても、私たちの菜園における、消費から生産への変革だ。」と言っています。そうベランダの小さなプランターに種を蒔くことから世界の相貌はがらっと変わるのです。そのワクワク感は僕自身が田舎暮らしを通じて実感したことです。実際、我家のプランターは菜園になり小さな田んぼになり、ついには山林を自家用ユンボで開拓して農園を所有するまでに成長しました。その根っこにあるのが先のモリソンの言葉でした。
 しかし残念ながらというか幸いというべきか山林の農園は台風で被災し、これから再構築しなければなりません。それを記録することがこのブログの目的となります。勿論、復興はただの再構築ではありません。「グリーン復興」のように、よりサステナブルでピースフルな農園を目指します。そのプロセスと自給農の実践を通じて思索を深め言葉を紡いで行きたいと思います。ただしこのブログをご覧いただく皆さんは缶ビールでも飲みながらゆるーい気持ちでお付き合いください。僕もそのゆるさは心がけますから。なにしろ農耕の起源はビールづくりだったという説もありますからね。(プシュッ!おっとまた一本開けてしまったぜ)